笠智衆をさがして。あるいは帯広旅行記…①
笠智衆(りゅう-ちしゅう)は明治生まれ、熊本出身の名優です。
彼は、ほとんどの演技の要望を柔軟に受け入れる反面、
偉大な監督小津安二郎からの泣く場面の要求を、
「明治生まれの男はめったに泣かない」と
他の演技に変えさせた逸話は有名です。
僕はその彼を一度
——たしか2006年の夏だったように記憶していますが——
お見かけしたようなような気でいるのです。
そこは帯広の街でのことでした。
そしてその時の体験が強烈に根付いたことでから僕は、
夏の終わりか厳冬の年始、あるいはその両方に
好きで訪れる場所が帯広になりました。
同じ北海道生まれの僕から見ても、
その地に暮らす人々は品良く温かで、気さくであること、
そしてその気質にならんで
食材が豊かで美味しいことを求めて余りある街です。
今回は親しい友人のすすめで
平成24年にその歴史を閉じてしまった古いホテルを
このまちの出身の方々がリノベートした宿を取ることができました。
曇天でありながらも、このホテルオリジナルのクラフトビールを、
このホテルの屋上から平野に並んだ街並みを伺いながら
数十分後にはひどくにぎわうであろう一角を思いながら杯をかたむけます。
ひどくにぎわうであろうその一角とは、
およそ20の店がひしめき合う「北の屋台」のことです。
自分をじらすように街なかをぐるりと遠回りしながら、
まだ陽の落ちかけない席のあるうちに入口に到着します。
すでに一番お目当ての屋台はすでに残席わずかという状況。
笑顔で迎え入れられ、弾む気持ちでカウンターに体をすべりこませます。
何を食べたかと訊かれたら「雰囲気を」と答えたくなる空気感。
なにもかもが美しい。
平原の向こうに小石が落ちるように沈んだ陽のあとは
屋台の外にも人があふれはじめるのです。
グラスホッパーとはよく言ったもの。
僕を含む観光客は、一杯のグラスを飲み干しては
——ある種の仁義は守ったつもりで——
その屋台を後に、めくるめく並ぶ屋台の彩りの中で、
次はどこに身を潜めるかを決めるべく、通りの中を好きにとびまわります。
そして屋台の提灯が夜の暗さとともに赤みを帯びてきた頃、
ハイボール(!)の酔いとともに、2006年夏の体験がよみがえります。
それは——1993年にはすでに他界していたはずの——笠智衆が通りの向こう、
雑踏をすり抜け人ごみの中から現れるのです。