お好み焼をたべる。


あんまり好きじゃないんですよね、お好み焼き。
いつ食べていいかわからないんですよね。
朝日の前でその質量は重く、
昼じゃこの卑しい目には副菜が少なく映り、
夜いただくには飲む酒がかぎられる、選ぶならビールでしょうか。

昔、友人に頼まれ出前がわりにお好み焼きを届けたことがありまして
それをおとついあたりぼんやりと思い出しました。

その彼はお酒がほぼ飲めないために、
たのんだお酒のほとんどはお店の人がだいたい思いこみから
一緒にいた女性のところに置いていくような飲みものばかりでした。
そんな彼のわきで僕がたのむ馴染みのいい酒はいつもだいたい日本酒です、
冬なら燗です。

ようやく、2キロくらい向こうに夏が見えてきたこの時季に
燗の話を混ぜるのもどうかと思うのですが、
その昔、4月15日まで生きていた彼が病気と聞いたのは、
雪のつもる舗道に、喧騒も街灯のオレンジも染みこんでいく夜半という
僕が良く知っている、燗酒の似合う冬でした。

「日本酒だけはだめだな、どうも深く酔ってしまう」
そういうお話しを聞くたび
“いえいえ僕ならビールもワインもかわらず深く酔っていますよ”と
言いそうになるのを、とっくりをことり、と置いて何度もやめる。
酔うと歯止めのきかないだらしない性分ですし、
そうなるともう地球上に酔っていない人間など
ただのひとりもいない気もちになってほんとうはすでに
そのことを話してしまっているのかもしれないのです。

いえいえ僕ならビールもワインもかわらず深く酔っていますよ。
そうそうそれから、
彼ならカルアミルクとかモスコーミュールでいちころですね、と。

そういう意味でもだらだら飲んでいたくなる酒は
やはり日本酒しかない気がします。
――景色は良いけれど、まだ寒くて雪のとけない丘に今、
ひとり暮らしている彼の前へ昔なら
――ああ“昔なら”なんて――
そんな言葉を使うようになってしまったんですが――
そう、昔ならふるい仲間の誰かが、
いっそ墓の前に病室で彼が
「残したら悪いんだけど、無性に食べたくなって」
と気弱に前置きしたお好み焼きでも持って行ってやろうと、
冗談とも本気ともつかないことを言って
調子のつまみを無理に上げたりしたけれど、
もう誰も言いださないし、決してやらない。

つまり年をとったんです、ちょうど10年ぶん。

食道から下にひろがる胃の洞窟にかけて、
ぽたりぽたりとつぎたしつぎたし酒の鍾乳洞ができるころには
たいてい楽しい話はより楽しく、
自慢ばなしはぼう大にふくらんだところで
また熱燗がするりと流れこんできて、
つかれたら寝てていいんだよ、と言われている気になって、
いつのまにか眠っています。

お好み焼き。残したらたら悪い、とそう彼は言いつつ
すべてたいらげ
周りと、彼自身がいちばん驚いていたお好み焼き。
やはりいつ食べていいかわからないんですけどね。