笠智衆をさがして。あるいは帯広旅行記…②

老紳士は屋台村の人ごみを縫うように

ゆっくりと着流しで現れ、

無言を貫いたまま通りの真ん中にあるベンチに腰を掛けると

おもむろに、まるで背の刀でも抜くように手をまわしました。

喧騒にうごめく屋台が潮でも引くように静けさが漂います。

まるで開いた小さな穴から凛とした時間が一気に吹き込むようです。

老紳士が抜き出したものは——ひと竿の三味線でした。

彼の存在は周囲の常連の男たちが——日ごろから

知っているのでしょう——すでにその存在に気がついています。

男たちは息をひそめるように、

とける氷の音すら鳴らないように静かに杯をかたむけ

調弦する老紳士の手元から目を離しません。

 

一度、老紳士ののどぼとけが上下に動きました、大きく。

 

ハアア~

 

とたん、渋くも澄んだ彼の声が一本の矢のように

夜空に放たれたかと思うと、まるで向かった先の星をまんまと砕き

屋台村全体を照らしたような衝撃のみなもとは彼の唄う「ソーラン節」でした。

 

ヤーレン ソーラン ソーラン
ソーラン ソーラン ソーラン (ハイ ハイ)
沖の鴎に 潮どき問えば
わたしゃ立つ鳥 波に聞け
チョイ ヤサエエンヤンサノ
ドッコイショ

 

(ハ ドッコイショ ドッコイショ)

周囲の男たちが大きな手拍子とかけごえをかけることで

あたりは見えないうねりに包まれはじめます。

 

ヤーレン ソーラン ソーラン

ーラン ソーラン ソーラン (ハイ ハイ)

今宵 ひと夜は どんすの枕

すは出船の 波まくら

ョイ ヤサエエンヤンサノ

ッコイショ

 

(ハ ドッコイショ ドッコイショ)

人々の手元の杯から、ワインが、ビールが、日本酒が、

それぞれにこぼれ、それでも男たちは

楽しそうにひとりの老紳士の節に酔いしれながら

声をかけ続けます。

 

ヤーレン ソーラン ソーラン

ソーラン ソーラン ソーラン (ハイ ハイ)

男度胸なら 五尺の身体

どんと乗り出せ 波の上

チョイ ヤサエエンヤンサノ

ドッコイショ

 

音楽とは文字通り。

表現とはこの通り。

躍動感とはかくありき。

僕の肌全体を覆うの鳥肌は

波のようにひいてはまた訪れます。

 

人を楽しませる息遣いと

楽しみたい人々に圧倒された夜に僕はすっかり帯広の街のとりこになりました。

しかしその夜から数年、

数度となく訪れても彼を見かけることはありません。

訊けばいつかの夜から見かけなくなったとのこと。

お店とは美味しいだけでなく、

人を楽しませることのできる空間もともに目指して。

それを教えてくれたこの街に一度行かれることをおすすめします。

僕は今でも訪れるたびに彼が座ったあたりを思い返しては

あの日の夜の喧騒を思い出してみるのです。

(ハ ドッコイショ ドッコイショ)

すると——なんとなくですが——笠智衆を囲む男たちの

大きな合いの手が聞こえ、うねりが見えるような気がするのです。

(ハ ドッコイショ ドッコイショ)

(ハ ドッコイショ ドッコイショ)

(ハ ドッコイショ ドッコイショ)