伊丹十三と。

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今、これをお読みになられている40代以下の方には

伊丹十三という名前も顔立ちもあまり知らない。

という向きも多いかと思いますが。

1984年公開の映画「お葬式」で監督デビューし、

その年の日本映画界の賞を総なめにし、

生涯猫を愛した、文化人であり、芸術家でもある芸能人です。

 

彼の幼少期は複雑なものでしたがその環境は

——愛情の飢えを抱えながら、感受性を鍛えられた——

と言っても過言ではありませんでした。

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その証にこれは伊丹十三が子供の頃に描いた水彩画ですが

その美やユーモアに対する才能の片りんを、

周囲にわずか6歳で示すことに成功しました。

 

それから数十年たち、青年となった彼は

1975年にエッセイ「女たちよ!」を世に送り出します。

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それは伊丹十三のヨーロッパ滞在のうちに身につけた

“目玉焼きの食べ方”、“スパゲッティというのはパスタの名前の一つ”

“ルイ・ヴィトンやグッチというブランドの素晴らしさ”

といった、今日では日常となっている事実を

ユーモアを交えた切り口で面白く紹介しつつも

「幅広い視野をもって世界を知るのは必要不可欠なこと」

というメッセージを込めているような本であり、

のちに多くの作家やクリエーターに影響を与えています。

 

 

そんな彼をはじめて僕が知ったのは1980年代前半に放映された

ツムラのCMだったように記憶していますが

当時からその作風には明るい風情が漂っており、

こどもの目に見てもその軽妙洒脱さが格好良く映りました。

日常によく見る風景、耳にする言葉を巧みに並べ替え、

見るものにいろいろな感情を想起させるその手法は

決してアイデア勝負やひけらかしではなく

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細かい裏付けを編み込んだ、

観客に一筋の不安も与えない安定感ある作品づくりであり、

それは三作目「マルサの女」では

その才能の花がますます蜜を帯びるかのように、

映画監督としての立場を日本で開花させました。

 

件の映画のワンシーン——。

「支店長、これは男と男の話しだよ」

国税局査察部の担当管理官役である津川雅彦さんが

架空口座の有無を調べるために踏みこんだ銀行内で

担当課長をさえぎって直接支店長に切り出します。

それでもしらを切る支店長、

文字通り紅潮させた表情で焦燥感をつのらせる担当課長。

そんな折、津川さんに部下の査察官のひとりが一枚の紙きれを差し出す。

それを目にした途端、津川さんは激高して両名に詰め寄る。

「どういうことだ、この支店に架空口座があるじゃないか」

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そのメモには架空口座の番号と支店名が明記されていました。

津川さんの名演が光ります。

ぎらり、としたひとすじの前髪がたれさがり、

眼鏡の奥の、そのバタくさい瞳がぐっとふたりの銀行マンに詰め寄ります。

僕は、やおらその瞬間を狙ってリモコンのポーズボタンを押して

津川さんがかざした手元のメモを見ます。

 

伊丹十三の細部における作り込みをためすつもりで。

そのメモが正確に見えるまで。

ブレが消え、しっかり文字が読めるまで。

あまりの細かな字で何度うまくいかずとも、

幾度もポージングをやり直したその静止画には

明らかに実在——していてもおかしくない——

支店名が手書きで記されていました。

その文字を読み、僕はあまりの衝撃とともに思わず笑みがこぼれ、

やがてそれはある種の尊敬の念へと変わりました。

 

今年で没後20年。

彼が健在であったなら、どんなことをしてもそな田へお呼びして

彼が愛したシャンパーニュをそそぎながら 、猫の話しで盛り上がり

最後に恥ずかしげもなく自慢げに尋ねたい。

「伊丹さん、なぜあの場面で支店名に月寒なんて選んだんです?」