節分までのこと。節分からのこと。
年々、神社へ足の向かうことが多くなりました。
それとは反対に、お願いごとをすることは減ったように思います。
「こんな僕ではありますが、せめて欲にまみれた嘘だけはつかぬよう暮らしております」
そう思うと不思議となにかに許されるような気がするのです。
神さまも――もしくはそれに近しい方々――にしたって
通りがかりの名もなき人間がいきなりご自身へ数百円(時にはそれ以下の金額)を放り込まれて
近況報告をされたところで――。と思わないこともないのですが、
それが彼らの仕事のひとつと考えたら、
まあそんなに無理難題なことではないのでしょう。と思うようにしています。
だいたい、海外旅行でいらしている方々も本殿の前でお見掛けするわけですから
きっと、いろいろな言葉でいろいろ話しかけられていると思うんですよ。
ただ、神さま――もしくはそれに近しい方々――が
本当に願いのすべてに耳を傾けていらっしゃるとして
解せないことの一つが恵方巻。
今年の方角は北北西らしいですのが、
無言で(または笑いながら)
恵方巻をみんなが一斉に神さまへの方角を向いて
美味しそうなものをただただ無言の圧力を掛けつつ(または笑いながら)
「宝くじが当たれ」「試験に受かりたい」「恋が実りますように」
そういった有象無象の願いが本殿をおそうであろうあと数日までのことを、
いったいどういう気持ちで迎えられようとしているのか。
閑話休題。
神さまの側に立つなんておこがましい。なんという傲慢。
ここはやはり人間の側に立って
人間らしく節分に恵方巻をお持ち帰り専用で販売します。
そな田の恵方巻
「天然鯛のそぼろと生姜の漬けもの」…ひと箱1,800円
別にただのひとつも売れなくてもいいのです。
みなさまが健やかで幸せな一年をお過ごしいただけるのなら。
別にただのひとつも売れなくてもいいのです。
明日も神社に参りましょう。そして願いましょう。
「こんな僕ではありますが、せめて欲にまみれた嘘だけはつかぬよう暮らしております」
そう思うと不思議となにかに許されるような気がするのです。